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片づけられなかった私が断捨離トレーナーになるまで(4)ちゃんとしなきゃ!が復活(初めての子育て)

2018.04.13

「片づけられない」からの卒業を応援する
断捨離トレーナー 小林ふみこです。



片づけられなかった私が断捨離トレーナーに
なるまでのこと、書いています。

これまでのお話は
(1)ずっと優等生ずっと反抗期(高校まで)
(2)落ちこぼれだけど自由を満喫(大学時代)

(3)バブリーふみこの張りぼて生活(独身時代)




親に嫌われたくなかったのか
周りの人が喜ぶ顔を見たかったのか
本当のところは自分でもわからないけれど
「あるべき姿」を察して
あえてそれを選んでいたような
高校生までの私。

そんな自分がイヤだったのか
片づいていない家にいるのがイヤだったのか
たぶん両方だったのだと思う。

大学生になってひとり暮らしをして初めて
遊ぶのも頑張るのも
「好きなように」していいのだと思えて
心が軽くなりました。

そして、時代背景の影響を大きく受けて
泡のように膨らんだ独身時代。

の後は…
ちょっと長いですが、
よろしければお付き合いください。



専業主婦になる
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さてさて、就職してからの
バブリーな11年間ひとり暮らしの後
結婚できて超ハッピー!だったかというと
そう単純にコトは進まず。。。

結婚1年後に仕事をやめたことで、
私の中にもやもやが生まれていました。

総合職(転勤族)の夫の将来のを考えると
同じ会社の地域限定一般職の自分が
働いていることはプラスにはならないと
判断してのことでしたが

それはわかっていたのだけど、それを夫に
「当然のこと」として受け取られたことが、
なんだか悔しくて、ずーっと引っかかっていました。
(そのことを自覚したのはつい最近ですが)

自分の稼ぎがなくなること、
社会とのつながりがなくなること、
専業主婦になることが、
なんだか負けた感じがして、
悔しくて、情けない感じがしていました。
ずっと自分で稼いで暮らして来たからね。

で、そうこうしているうちに妊娠、
37才で出産となりました。
子どもを生まないと決めていたわけではないけど、
全くイメージがなかったので、
かなり戸惑っておりました。



修行僧時代
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難産の末、無呼吸で生まれた息子は、
翌日からは別の病院の新生児ICUに
入ることとなり、母子別々。
私は出産時に恥骨の靭帯が切れたらしく、
退院後も歩けない状態。
子どもは心配だし、おっぱいは張るし、
産後ブルーの状態でした。

検査後、無事自宅にもどれた息子ですが、
夜泣きはひどいわ、体中湿疹が出ているわ
何が悪いのかわからず、不安で辛い毎日。

生後半年の頃、血液検査で
重度の食物アレルギーだとわかりました。
牛乳アレルギーの子に、夜粉ミルクを与えて
いたんだから、そりゃあ夜泣きするわな、と
後になって冷や汗が出ました。

よくぞ重篤な状態にならなかったものです。



当時、食物アレルギーの乳児に
生活指導をしてくれる病院はなく、
人づてに母乳育児の先生が
アレルギーの母子をみてくれることを知りました。

生後7か月の子を抱いて
その「(通称)おっぱい先生」の下に
毎週3~4日通う生活が始まりました。

まだ乳児だったので、いい母乳さえ与えれば
大丈夫、ということで
私の食事指導と、よい母乳を出すためのマッサージを受けるのです。

食べ物は、とにかく疑わしいものを全て
除去することからスタート。
息子にとって悪いものを除くと、
ほとんど食べるものがありません。

肉、魚、乳、卵はもちろんのこと、
大豆、小麦、砂糖、油、米もだめ。
野菜でさえ、アレルゲンとなりやすい
イモ類、緑黄色野菜は食べません。

最初は、雑穀と白っぽい野菜を10種類ほど、
海藻も10種類くらい、
それらを塩だけで味付けして食べるのです。
もちろんダシも使えませんし、
同じ食材を2日続けて食べることもできないので
5種類の野菜と2~3種類の海藻を、
切って鍋に入れ、少量の水と塩を加えて煮る
「重ね煮」したもの、同じものを三食食べていました。

お坊様には叱られそうですが、
自分ではもう修行僧にでもなったつもりでした。(笑)



子どもに対しては、
自然療法と漢方でケアを続け
すると、2~3ヶ月で見違えるほどきれいな肌になったのです✨

やはり、不要なもの、ふさわしくないものを
出しきった結果でしょうか。



ひたすら米と野菜を食べて良質な母乳を出す毎日




その後は、試せそうな食材を
少しずつ食べてはおっぱいを出し、
それを飲んだ子どもの様子を見ながら、
食べられるものをひとつず増やしていきました。

観察と記録とケアの毎日、
まるで実験しているようでしたね。

結局2年ほどそんな生活を続けたのですが、
これ、自分のダイエットのためだとしたら
絶対続けられなかったと思います。

子どもの命がかかっていると思うからこそ
続けられたのですが、
この間に、しばらく忘れていた
ちゃんとしなきゃ という感覚がよみがえってきたのかなぁと思います。



おっぱい先生の指導は
食べ物だけに限らず、衣食住、生活リズムに至るまで
細かくされていましたが、
私は本当にまじめに全て実践していましたから。

後でわかったのですが、
先生のところに通っていたお母さん仲間は、
こっそり甘いものなどを食べていたそうなんです。
クソがつくほど真面目にやっていた人は、
私だけだったのかもしれません。



でね、この頃は友人とお茶することもできなかったし、
買い物に行くたび誘惑との闘いだったから、
かなりなストレスだったと思うんですよね。

ある日自転車で走っていて
「極上カステラ」の貼紙を見つけたんです!
もう、カステラなんて悪の塊(笑)じゃないですか。

おっぱい生活が終わったら、絶対これ食べてやる!と、
それを励みに頑張っていたのですが、
後日あらためて見るとそれは
「極真カラテ」のポスターだったんです。
よっぽど食べたかったんだと泣き笑いしてしまいました。



これはイメージですが
極上カステラ に見えません?(笑)




何もかもびしっとしているわけではないし、
子どもとの楽しい時間も過ごしているのだけど
毎日のベースには
「ちゃんと育てなきゃ」 という考えが強くありました。

愛情から、というより、
義務感や強迫観念からだったと思います。


なんだか、自分が子どもの頃の、
「ちゃんとしなきゃ」 が戻ってきたみたいです。

通える幼稚園もなかなか見つからず、
園生活がはじまって社会との接点が増えると
ますます手間と時間がかかり

入園直前には妹も生まれていたので、
もうてんやわんや
この間、2度救急車のお世話にもなりました。

自分も40才を過ぎていたので、
体力的にもきつくなりはじめていました。



そんな毎日で、片づけは後回しに。

息子が年少の頃、遊びにきた女の子の友達に
「どうしてここのおうちはこんなに汚いの?」
と言われてかなりショックを受けたのを覚えています。



それから間もなく息子4才、娘1才の時、
大阪から東京に転勤になり、川崎(神奈川)に引っ越しました。

この引越しが、超タイヘンでした。
3LDKのマンションの2部屋が物置き状態でしたからねー。

荷造りのために、引越しやさんから
二人の女性が来てくれたのですが、
あまりにモノが多過ぎて、最後は
「適当に全部詰めておきます!」と言われ、
かなりな量のガラクタをはるばる神奈川県まで運んできました。

こうしてこの地で新生活が始まったのですが、
友人もいない中で小さい子連れで
新しい病院と食材を調達できるお店をさがすのに
かなり疲れていました。
今ほどネットが身近にありませんでしたから。



そしてそんな毎日が、
「社会から取り残されている感」 をますます強くし、
なんとしても新聞だけは毎日よまなきゃ!と思って、
でも読む時間などなくて、
食卓の上や下に、2ヶ月分以上の新聞が
山のように積まれていました

その山を見るたびに、
新聞も読めない自分は役立たずなんだ、
というような自虐的な気持ちになっていきました。

もちろん、いろんな子育て本や、
ナチュラル生活のためのハウトゥー本も、
読み切れないくらいいっぱい溜め込んでいました。

いつの間にか自分も 
あんなに嫌っていた 片づけられない母
になっていたのです。


 

(次回につづく)

 

 

 

 

 

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